2003/03/29

昨日、今日、明日  あるいは5分後の世界。

こんばんわ。アガットです。

今日、いつものように朝起きてぼーっとしたまま歯を磨いていたら、
わたしは唐突に悟ってしまいました。
今日は決して昨日からの続きではなくて、明日にもつながらないってことを。
今日という名の袋小路。
こんなことを言い出したらみなさんは気が狂ったと思うかもしれません。
いや実際狂ってるのかもしんない。
きっとそうにちがいない。

誰かが言いました。
「…本当のわたしはたぶんどこか他の世界にいて、夢をみている。
この世界のわたしはたぶんその誰かがみている夢に違いないんです!」

驚いたことに、こんな小学2年生でも考えそうな陳腐で稚拙な妄想を、臆面もなく映画にした人さえいました。バカじゃないの? でも、それが比喩的にはある程度真実であることを悟った今のわたしがどうしたかといえば、…結局どうもしなかったんです。
今日世界が終わるとわかったからといってできることは実はあまりないし、しなければならないことも、実は特に無いものなんです。
だから今朝もいつものように冷蔵庫の中から1リットルの牛乳パックを取り出して、箱に不細工なクマの絵が書いてあるシリアルにかけて食べるだけ。しかもこれ、おいしいと思って食べたことなんて今まで1度もない。
そもそも牛乳の消費期限だってギリギリ。
ほんと、わたしってどうかしてる。

あのね、世界の終焉が必ずしも恐ろしいカタストロフで締めくくられるわけじゃないことを人は時として忘れがちなんです。今日が終わればそのまま世界も終わる。なにごともなかったかのように終わる。それだけ。そのままもう次の日はきません。
そんなことだってあるはずなんです。少なくとも理屈の上では。
意識の外にあるものをわたしたちは認識できない。認識できないものの存在証明は実はちょっと難しいことになる。
だから世界が終わったあとのことなんてわからないし知りたくもない。そんなもんはどっかで呑気に夢を見続けている誰かが考えればいいんです。
世界は何度も終わっています。
終わり続けています。
この今日はきっと明日には繋がらない。

で、チョコレート味のまったくおいしくないシリアルを食べながらフレンドのステータスを見たら、もう誰もいませんでした。
しかたないのでわたしは服を着替えてスカイボックスから地上に降りました。
所持金は5日前から変化無し。まったくやる気がなくなる。もっとも家賃を払う心配ももうないんだけど。

ゆるい坂道の続くこの街をちょっと歩いてみたけど結局誰にも会いませんでした。
ご近所さんはどこに行ったのでしょう。毎日居た、驚くほど眩しいフェイスライトの彼はどうしちゃたんでしょう? (別に会いたいわけじゃないけど)
仕方ないので地図を広げてどこかへ移動しようとしたけれどテレポートもできなくなっていました。そういや前にもこんなことがあったような…。
あった気もするんだけどそれっていつのことでしたっけ?
思い出せない。


わたしはしばらく歩きながら考えていました。
不思議なことにわたしは誰もいない世界に少し安堵しているのでした。
いや、安堵なんてもんじゃない、むしろわくわくしていました。
あなたの世界、あなたの想像力。
つまりわたしにはこんな世界しか想像できませんでした。
あらかじめ終わっている世界。
だれもいない世界。わたしだけの世界。
それこそがわたしの望んだもの。

それからわたしは作りかけになっていた新しい家をサンドでちょっといじって、そのあとは友だちが前にくれた切り株のかたちの椅子に座って音楽を聞いて過ごしました。それが世界最後の日にふさわしくないマヌケな音楽であることだけは確かでした。
やがて日が沈み、冷蔵庫にあったもので簡単な夕食を作って食べてから本など読んで過ごした後、さすがにベッドに入るときに、いまのわたしが明日にはもういないことに気づいて少しだけ悲しくなりましたが、それもひとときのことでしかありませんでした。

わたしはこれからきっと、少しだけ夢を見ます。
そう、たぶん5分間くらいの。
それがどうか、スーパーで牛乳を買うのと同じくらい無意味で淡々としたものでありますように。

え? アバターは電気羊の夢を見るかだって?
そもそも電気羊ってなんなのよ?

それじゃ、おやすみなさい。
みなさんは良き明日を。