2006/07/01

1999年のプール開き

夢の中でわたしは何故か女子中学生に戻っていた。

どういうわけかこれから体育。しかも今年初めてのプールでの授業なのだ。
更衣室代わりの埃っぽい教室は懐かしい母校そのまま。
みんな水着に着替え終わっていて中学生のわたしは焦っている。
ちなみに夢は女の子たちが着替え終わったところからスタートしているらしいので
着替えシーンはありません。期待はずれでしたか?
で、わたしが何で焦っているかといえば水着を持ってきていないからなのだった。
そもそも水泳の授業なんて聞いてない。もっと言えば自分が女子中学生になっているということも聞いてなかったから仕方無いことではあった。
持っていたスポーツバッグの中には何故か、現実世界でのわたしが部屋着にしているハワイで買ったバナリパのスェットとバスタオルだけが入っている。
全く理解に苦しむ。
困惑してあたりを見回すと、学校指定スクール水着姿の少女たちの中に、
一人だけ横に赤いのラインが入った競泳用スイムウェアを身に付けたひときわ目立つ少女が立っていた。
どうやらこの夢の中で、わたしと彼女は特別な関係という設定のようだ。

少女が屈託ない笑顔でわたしに微笑む。
…ああ、彼女には見覚えがある!
これは設定なんかじゃない!

彼女はわたしが中学2年の時に同じクラスだった大好きな女の子だった。
彼女は本当に特別で他の誰とも違っていたんだ。
まるで映画の中の白人の少女のような整った顔立ちなのに近所の団地に住んでいる。
染めているわけでもないのに栗色の長い髪。憧れない男の子なんていなかった。
「学年で一番かわいいのは誰か」というお決まりの話題には必ず登場。
もちろんわたしは思う。彼女が一番可愛いにきまってる! なんて素敵な親友!
そう、当時のわたしにとって彼女こそ世界で一番眩しい存在だった。
優しくて綺麗で、勉強はそこそこだったけれどピアノが素晴らしく上手。
習っていたバレエ。なんて美しいアラベスク。
彼女は誰にでも好かれていて、わたしが持ってないものを全て持っている。
そういえば。
彼女は小学生の頃に地元のスイミング・スクールに通っていたから、泳ぐのが上手くて、体育の授業も競泳用水着で通していたことを思い出す。
紺色に赤いラインの競泳用水着からすらりと伸びた四肢。
きっとそれはそれは気高い彼女の誇り。
類稀なる麗しき女子中学生にして平民の家庭に身を窶すわたしだけの姫君。
自慢の親友にして守るべき憧憬の対象…。
そんな規格外の感情を中学生のわたしはもてあましていたのだった。

ああ、何故わたしは彼女のことを忘れていたのだろう。
大人になったわたしは、こんなにも儚く美しいものまでを忘れて
日々の雑事に忙殺されているのだ。
わたしは夢の中で誰にも気付かれないように少しだけ泣いた。

「はやく着替えなよ、授業始まっちゃうよ?」
少し鼻にかかった懐かしいその声がわたしを中学生に引き戻す。
それだけでまた泣きそうになる。
「…でもさ、水着忘れちゃったんだよね」
わたしは彼女にそっと耳打ち。
教室の中でわたしだけが夏の制服。
わたしはこの制服が大嫌いだった。でも今は抱きしめたくなるくらいにいとおしい。
紺色のプリーツスカートに開襟の半そで白シャツ、校章とクラスのバッジ、うわばき、白いソックス。そしてそれを取り囲む紺色の水着に白いゴムのスイムキャップをかぶった少女達。
眩暈がする…。

「じゃあさ!」
仲良しの彼女はわたしの手を引っ張る。
「下の売店に水着売ってるからさ、一緒に行こうよ。ついてってあげる!」
気がついたらわたしは何時の間にかTシャツ(恐らく体育着の上)とバッグに入っていたバナリパのスエットを履いて裸足になっていた。たぶん大人サイズだからなんだろう、大きくてブカブカなのがちょっと恥ずかしいけれど、これはこれで良いような気がした。

窓から入ってくる初夏の風があまり長くないわたしの髪を揺らす。涼しくて気持ちいい。
校庭のプラタナスの木漏れ日。濡れたコンクリートと太陽の匂い。
わたしは、授業前によりにもよって水着を現地調達してるところをウチのクラスのバカ男子どもに見られたら何てからかわれるだろうか、なんて乙女っぽいことを考えながら彼女と手をつないだまま歩き始めていた。
わたしを取り囲む少女達の嬌声。手の温もり。優しい笑顔。

いつのまにか教室だったはずの景色が地元の駅になっていた。
この格好はちょっと恥ずかしいけどみんながいるから平気だ。
だってみんなは水着なんだから。
「あ、遅れちゃうから走るよー!」
慌ててみんなが走り出す。横には手を繋いだままの彼女。
わたしは君の手を引っ張って走り出す。
みつめあう二人。涙がこぼれそう。
悪戯っぽく笑う彼女。つられてわたしも笑う。
遅れないように走り出す。
それにしてもなんて体が軽いのだろうか。

夢の中のわたしは強く願う。
いつまでもみんなと一緒にいよう。
大好きな茶色の髪の親友と一緒にいつまでも。


列車の発着のベルが鳴っている。それがいつのまにか目覚まし時計の音に変わる。
ぼんやりと視界が霞む。いけない、今日もまた部屋着のまま寝てしまった。
PCの電源入りっぱなし、エアコンつけっぱなし。
…夢と同じバナリパのスエット。


変な夢だった。彼女の手の暖かさがまだ手に残っている。夢なのに。
ベッドの中でメンソールの煙草を1本吸いながら、わたしはあの茶色の髪の女の子から
バレンタインデイに手焼きのクッキーをもらったことを思い出していた。
「女同士なのにヘンなの!」わたしたちは笑い転げたんだ。
それでもあれは多分、世界で一番嬉しかったプレゼント。
生まれてきてあんなに嬉しいことは無かった。
だから今でもはっきりと覚えている。
あの頃のわたしは多分本当に幸福だったのだ。なんにも考えてなくて、
ただ毎日が楽しくて。

やがて中学を卒業して、わたしは地元の進学校、彼女は地元の中くらいの都立校へ進学した。卒業式に彼女と撮った写真がまだ実家のどこかにあるかもしれない。
それからわたしたちは数えるくらいしか会わなくなり、やがてわたしはあの町を出た。

胸の奥が今も少しだけ痛い。

だからわたしはこう思うことにした。
あの頃のわたしはまだ彼女と手を繋いで歩いている。
いつまでもずっと。
どこまでもずっと。

プラタナスの木漏れ日の中、お互い笑い合ったままでね。


(或る日の夢より)