普段内気で目立たない少女アガット・K・ラッテがバッファロースカルの仮面をつけると
ある種のトランス状態に陥り、極度に躁状態の人格が現れる。
これこそが全米を恐怖に陥れた「バッファロースカル・ガール」の正体であった。
意識変容時「彼女」の言動は7歳程度まで退行しているように見受けられ、
同時に攻撃衝動が異常に高まるのが担当医師(2007年のモントーク事件にて犠牲となり死去)によって記録されている。
意識変容下のアガットは、2006年12月コネチカット州リッジフィールドにおいて
グロック19自動拳銃とASP F21バトンで武装した州警察の警官8人を僅か30秒程度で昏睡たらしめ、人海戦術による拘束後も、強固な拘束衣を引きちぎるなどし周囲を震撼させた。わずか17歳の「非力な」少女が、である。実際彼女は、発症するまでに目立った病歴、通院歴もなく問題行動も皆無であった。
むしろ極めて模範的な生徒の一人ですらあったのだ。
ハイスクールに通うおとなしい少女が引き起こしたにしてはあまりに常識外れで衝撃的な事件であったために各メディアにこぞって取り上げられたのもまだ記憶に新しい。
その後、有名な2007年の「モントークの惨劇」までの間、彼女は10ヶ月間ジョージタウンにあるセント・フランシス記念病院の閉鎖病棟、最も重篤な患者のための24時間監視付き自傷防止特別病室に強制入院させられていた。
そこでの彼女は比較的落ち着いた精神状態にあり、人格乖離等の症状はおさまりつつあるかに見えたのである。なおこの期間中、彼女の象徴でもあり特殊な人格障害発症の遠因であったと思われる、いわば「呪われた」バッファロースカルの所在は全くの不明であった。
(続く)